教員と親がすべきこと「子供という「種」に水をまく」いつか芽が出て花が咲くその日を信じて、今日も伝える

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こんにちは。地味に高校教師、部長ナビ(@nabi_1080)です

さて、今まで散々言ってきました「高校生活で学ぶでき事」、それは「心を育てる」ということだと繰り返してきました

この点についてのまとめ記事を書いてみたいと思います。これから先生になろうとしている方も、1番目のお子さんが学校に入学される方も参考にしてくださいね

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子供は「種」

子供というのは、「咲いてない」というだけで、必ず将来大輪の花を咲かせる「種」です。それを忘れてはいけません

私も日頃の学校生活で、生徒と色んなやり取りをしますが、その生徒を否定することはありません。叱ることはあっても、否定はしません。将来的に理解できて、それを別の誰かに教えることができるようになると知っているからです

普通の大人は「その時点」しか見ることができない

普通の大人は、例え教員であっても「遅刻が多いからダメだ」「忘れ物が多いからダメだ」と、その「瞬間」で子供を評価します。

ですから、失敗の許されない、緊張感の続く毎日が子供の「普通」になっているのです。そんな生活で、豊かな心は育つでしょうか?

少子化により、子供達はより多くの大人から「多様な意見」を言われて生きています

大人は勝手なので、自分の価値観で子供に「諭す」つもりで持論を押しつける場面が多々あるのです。子供は当然混乱しますが、「褒められたい」「怒られたくない」という一心で頑張ります

こういうことは「正しい教育」でしょうか?

ルールをバシッと守れば、いい大人になれるのでしょうか?私は疑問を感じています

将来、この子が困らないようにするためには、今何を教えるべきかを考える

今、忘れ物をしたとしましょう

取り返しの付かない忘れ物をしたとしましょう

普通、怒ります。烈火のごとく怒り、叩いてしまう保護者もいるかもしれませんが、ちょっと待ってください。

子供は「叩かれた」「怒られた」という「痛み」だけが記憶に残ります。それで本当に正しい対応なのでしょうか?

叱ることは大切です。時によっては私も怒鳴ることはあります

しかし、その後が大切なのです

怒った後、叱った後、「この子が大きくなったとき、どういう考えを持つことができれば、同じミスを繰り返さないだろか」と考えてください

そのために、大人として、どんな「知恵」を授けることができるかを考えてください

私は、生徒を叱ったときに、必ず最後にこう言います

「今まで、君はこういう良いことがあった。先生はそれを評価していた。しかし、こういうミスがあると、信用を失うことになる。ミスは大変なことなんだ。でも、先生は君を見捨てない。なぜなら、君を信じているからだ。今回の件は悪いことかもしれないが、大事なことは繰り返さないと言うことだ。繰り返さない。コレが大切なことだ。」

「もう繰り返さないと、君を信じても良いのか?」

こう言うと、だいたい子供は「もうしません」と言います

もし、仮に繰り返したとしても、子供は「ごめんなさい」と「先に謝れる」用になります。言い訳をしなくなるのです

人間、ミスを繰り返す生き物ですから、私はそこで怒ったりしません。

「確かに悪いことだ。でも、君はそれを認めて謝った。次に大切なことを教えよう。それは、「どうやってミスを取り返すか」だ。どうすれば良い?」

こう言うことで、生徒は「謝って、次、どう取り返せば良いのかをちゃんと考えれば、それで良いんだ」となります

これが、「生徒に水をまく」ということです

ミスをしても、ちゃんと謝って、その後どうするか言える。こんな若者、今いますか?

点数を取ればそれで良いのではなく、偏差値が高ければそれで良いのではなく、給料が良ければそれで良いのではなく、「人が集まる人間」になるべきなのです。そのために必要なのは「心を育てる」ことです

前に記事で書いた通り、学校生活では、「点数にならない行動」として、「掃除、整列、あいさつ、整容」を挙げましたが、大人ができるのは、この「ミスしたときにどうすれば良いのかをきちんと教える」事だと思います

ミスして褒めるのはおかしいですが、叱ることと、諭すこと、そして、教えること、認めること、これらのバランスをうまくとることで生徒は「芽」が出るようになります

多くの大人は、「叱ること」には長けていますが、その後どうすれば良いかを知りません。本も売ってません。学校の先生ですら知りませんから、子供達はますます混乱し、人によっては「もういいや、どうせ何言っても怒られる」となるわけです

将来、この子供が「大人」として、全うに「人が集まる人間」になるためには、どのようにすれば良いのか、一番簡単な「ミスへの対応」をきちんと教えることが私は教員、保護者のつとめであると思います

しかし、保護者は、「初めての子供」の場合どうして良いかわかりません

ですから、教員がそれを教えるわけです

時には、クラス全体でその話を共有し、全員に考えさせる。それにより、クラスは1つの価値観を持てるようになります

教員は無くしてはいけない職業だと私が痛感する理由がここにあります

「水をまく」一番重要な役割は、毎年、同じ年齢層の子供と接する教員であるべきだと思うからです

一旦、芽が出たら、枠を示して、自由にさせる

ある程度、子供に教えてあげると、子供は色々な場面で「自分で考え、行動できる」ようになります

そこまで来たら、次は「蕾」を付ける場面です

この場合、大人は「枠」を教えます

「ここからはみ出してはダメだよ」という「境目」を教えるんですね

そこをはみ出たら、ちゃんと叱りますが、ある程度最初に教えてあげると、子供達は自分たちで判断し、注意し合えるようになります。そして、枠をはみ出さなくなります

ここまで来ると、非常に楽に子供達の心を育てることができる容易になります

「自由にさせても良いの?」と思うかもしれませんが、社会は「自由」の塊みたいなモノです

子供達を「枠のある自由」の中において、日々生活させることで、今の自分の言動、行動、考えが、「枠に収まっているか」妥当性を考えられるようになります

コレも、我慢できずにあれこれと言ってしまう大人が多すぎるのです

私が担任するクラスは、私がいなくてもほぼ何でもできます。枠の中で生徒は自由に行動することに慣れているからです

枠ギリギリの何かがある場合は、ちゃんとリーダー格の生徒が私に聞きに来ます。これこそ「蕾」の状態です。クラスが集団として機能している。そして、担任がいなくても自分たちで判断できている状態なのです

もちろん、はみ出る子供もいますから、それは教えてあげますし、何より、周りの子供達が教えてあげるようになります

言い方もちゃんと伝えることで、その子供にあった「分かりやすい」言い方で枠の中で動くように言ってあげることができるようになります。コレも成長ですね

毎年私の担任するクラスは、手のかからない、非常に楽なクラスになります。生徒は私が「枠さえはみ出なければ細かいことは言わない」事を知っていて、それを「信頼されている」ととるようです。

最初、「自由にさせる」のは勇気がいります

色々知恵を授けたくなります

道順を教えたくなります

一緒に歩きたくなります

でも、待ってください

子供は、一人で歩こうとしているのです。転んでも良いじゃないですか。

大人になって、転ばない人なんていますか?「起き上がる練習」は子供の時しかできません

枠を与えて自由に行動させると、色々なことが起きますが、それは全て子供達の良い経験として大人になったときに生きるのです

試しにやってみてください。

「関わらない」ことと「枠を与えて自由にさせる」事は違います。ちゃんと見てあげて、ことあるごとに褒めてあげるのも大切です。放置とは違います。

こうやって、子供というのは自然と「花を咲かせる準備」をするモノなのです

そして、花を咲かせる日が来る

残念ながら、高校の教員である私は、生徒の人生において「花が咲く」場面に遭遇することはありません

社会に出て、結婚して、親になって、部下を持って、様々な場面で、「ああ。先生が言っていたことはこう言うことか」とわかり、次の世代に「心の重要性」を説く。これこそが「花が咲いた瞬間」だと思います

大事なことはなんなのか、教えるべき事はなんなのか、こんな時代と人はいいますが、いえいえ、子供達は素直で非常に良く大人の話を聞くんです

ですから、皆さん、子供をよく見て、「10年後、いい大人になるために、今、何を伝えるべきか、逆に、自分で何をさせるべきか」を考えてみてください

 

心配だとは思いますが、転んで、泣いて、起き上がって、また歩いて、そうやって、子供は「花を咲かせる」準備をするのです

全ての子供は「種」です

将来、素晴らしい花を咲かせるために、一生懸命頑張っています

アナタが、素晴らしい「水」になれることを祈っています

 

私は教員として、日々生徒と関わるわけですが、大切なことはいつも同じだと繰り返し話します。でも、生徒は誰も寝ること無く真剣に聞きます

それは、生徒の心が育っているから

次はアナタのお子さんの番です

 

(非常に多い「子供との関わり方」に関する質問にお答えする形で記事を書きました。参考になれば幸いです)

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